変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

念仏を信ぜん人

一枚起請文 - Wikipedia 念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同じうして、智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。 浄土宗の時間 「法然さまのみ教え」 第三週 6月17日 「信…

奥ふかき事

一枚起請文 - Wikipedia この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。 松庵 もし、このほかに奥深いことを考えているとしたならば、私は、阿弥陀さまとお釈迦さまのお慈悲からはずれ、私をお救いくださるという本願からもれる…

「と申して」と「にて」

一枚起請文 - Wikipedia ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず。 ただし三心四修と申すことの候うは、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。 「南無阿弥…

同一念佛

一枚起請文 - WikiArc 学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。 ただし三心・四修と申すことの候ふは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ふうちに籠り候ふなり。 愚見によれば、「念の心を悟りて」とは、宗教経験を含んでいる。また「決定し…

決定(けつじょう)

一枚起請文 - WikiArc ただし三心・四修と申すことの候ふは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ふうちに籠り候ふなり。 第 十 三 巻 - いとーの部屋 - Seesaa Wiki(ウィキ) 但妄念のきをひおこり侍るをば、いかがし候べきと。上人の給はく、是煩…

往生極楽のために

一枚起請文 - WikiArc ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思ひとりて申すほかには別の子細候はず。 選択集 読んでみよう選択集:浄土宗 それ速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中には、且く聖道門を閣いて、選んで浄…

念の心を悟る

一枚起請文 - WikiArc 学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。 いとー日記:元祖大師御法語前編3「聖浄二門」その2 - livedoor Blog(ブログ) 彌陀如来の、本願の名号は、木こり、草刈り、菜摘み、水くむ、たぐいごときのものの、内外ともに、かけ…

もろこし

西域佛教というものが、あったと思うのである。インド佛教、西域佛教、シナ佛教を経て、日本佛教に至る。浄土三部経は、それぞれ、西域佛教の影響下に生れたものと思う。それが、シナ佛教を経て、日本に来たのである。 つまり、一枚起請文に言う「もろこし」…

謙敬聞奉行

人生で大事なことは、謙敬聞奉行である。 東方偈(往覲偈) 謙敬にして聞きて奉行し、踊躍して大きに歓喜す。驕慢と弊と懈怠とは、もつてこの法を信ずること難し。 香樹院語録 一一七。おれが、念仏申せ念仏申せと云うのは、念仏申すと、腹の中の障り外の障…

建暦法語

建暦法語 淨土宗安心起行のこと。義なきを義とし、樣なきことを樣とす。ただ念佛を申せば、十悪五逆も、三寶滅尽の時のものも、一期に一度の善心なきものも、東西不弁のものも、決定往生を遂げ候なり。釈迦弥陀をもて証とす。 建暦元年一月二日 実は元祖のも…

根拠のない思い込み

Sakura Tetsu Home Page (佐倉哲ホームページ) 上のサイトはもう更新が止まって数年が経っているが、前に読んで感銘を受けた。明晰なる論理、簡易なる筆致、素晴らしい。そしてその中での主張の一つに、「信仰とは根拠のない思い込みである」ということが、…

行とは何か。

行というのは、昔読んだ本に、潜勢力とか形成作用とかと書いてあったように思う。何のことかわからない。 行 (仏教) - Wikipedia ぎょう - WikiDharma これらを読むと、十二縁起の行と、五蘊の行と、諸行無常の行とは、多分、同じなのだろう。 しかし思うに…

絵に描いた餅

絵に描いた餅を美味しいという人もあるのであろう。 犀の角 交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。 この経文に相当する浄土門の法語は次のもの…

厭離穢土

テーラガーター 1 そののち、わたしに、根源[あり]のままに意[おもい]を為すこと(如理作意:固定概念なく思い考えること)が生起した。〔世俗の〕危険は明らかと成り、厭離〔の思い〕は確立した。 【四つずつの詩句の集成 (267〜270)】: 心の栄…

自帰依法帰依

釈迦 - Wikipedia 汝らは、みずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすることのないように。 機の深信に言うところの罪悪生死の凡夫、または煩悩具足の凡夫、また元祖言われるところの乱想の…

宗教と宗教団体

宗教と宗教団体とは別である。教えが素晴らしいからといって教団も素晴らしいとは限らないし、教団がしょうもないから教えもしょうもないとは限らない。殊に浄土門の団体は、所詮煩悩具足の凡夫の集まりなので、大したことがなかったとしても、失望するには…

宗教的事実と歴史的事実

宗教的事実と歴史的事実とを混同してはいけないと思う。これらを混同するから迷信とか盲信とかになってしまうのだろうと思う。 宗教的事実とは、釈尊が正覚を得て佛となったということである。歴史的事実とは、釈迦族出身のゴータマ・シッダッタが29歳の時…

二種深信は矛盾していないだろうか?

Google「二種深信 矛盾」検索結果 矛盾していないという説と矛盾性があるという説があるようである。矛盾性があるというのは、矛盾しているように見えるがしていないということなのか、それとも、矛盾していないとまでは言えないということなのか。矛盾して…

無明そして無明の滅

無明 - Wikipedia リンク先のページを読んでもよくわからないが、思うに、無明の対立概念は無明の滅ではなかろうか。 二種深信は、二種一具と言われるように、片方が成立したからといって片方が廃れるものではない。そうすると、十二縁起の流転門と還滅門も…

釈尊の悟りと念佛の安心

ゴータマ・ブッダの三つの偈 - 宇宙を屋根に 地球を寝床に 成 道【南伝大蔵経】 [mixi]ゴータマ伝1 「悟後の坐禅」(本文のみ) - 原始仏典 | mixiコミュニティ 仏教の基礎|学ぶ・考える|真宗大谷派 名古屋教区第30組 上のサイトからの引用。 (日没時の詩…

十二縁起と二種深信

十二縁起とは以下の如し。 十二因縁 - Wikipedia 原始仏教 仏陀が教えた原初の教え(2/4) - 仏教、浄土真宗を学ぶ jho123's blog 無明 - 行 - 識 - 名色 - 六処 - 触 - 受 - 愛 - 取 - 有 - 生 - 老死 無明によりて行あり、行によりて(略)生あり、生により…

初めに

ネットを渉猟していると、宗教関連で誤解している文言や、何やらおかしな主張をしているサイトにめぐり合うことがある。これから始めるこのブログもそのお仲間になるのかと思うと幾分の消沈を禁じ得ない。よってこれを「変的論」と名付ける。