変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

思想は所詮思想に過ぎない

法然、親鸞の師弟関係に「不適切な記述」 浄土宗、倫理教科書調査へ:イザ! 親鸞が師匠である法然の教えを「徹底」または「発展」させたと解説している。 思想としてみればそうではあるが、しかしそれはそれぞれの流派で発展させているので、真宗に限ったこ…

報佛の因果

安心決定鈔 - WikiArc まことに往生せんとおもはば、衆生こそ願をもおこし行をもはげむべきに、願行は菩薩のところにはげみて、感果はわれらがところに成ず。世間・出世の因果のことわりに超異せり。 仏説 無量寿経 (巻上) - WikiArc 行業果報 不可思議 諸佛…

宗教と科学

宗教と科学とは、本来、対立するものではない。それを、宗教の領域で科学を語ったり、科学の領域で宗教を語ったりするから、おかしくなるのではなかろうか。 科学は結論が決まっていない。理論と実験とを重ねて結論を出す。当然、結論が変わることもありうる…

愚癡に還る

機の深信が縁起の法であるということは、先の記事に書いた。善導大師は、常没常流転の縁起の法に、罪悪や凡夫という要素を加えられたのである。 法然教学の研究 /第二篇/第一章 法然聖人における回心の構造/第七節 三学無分の自覚 - 本願力回向 一者、決定深…

發菩提心

法然を語る⑨法然と明恵 汝は即ち畜生のごとし、また是れ業障深重の人なり。一代の聖説、仏道の妙因、都て菩提心を離れては余毎なし。 華厳宗の明恵上人が、元祖に対して放たれた悪口である。佛教の根幹たる菩提心を否定されたということで、気持ちはわからん…

聖道門と浄土門

聖道門と浄土門の違いを並べてみる。 聖道門:かっこいい、理知、優秀。 浄土門:かっこ悪い、愚迷、低劣。 浄土門の教義が聖道門寄りになっていくのは、しょうがないかな、とは思う。小生も人のことは言えない。 しかし、一枚起請文にある通り、元祖を第一…

如来よりたまはりたる

歎異抄 後序 - WikiArc 源空が信心も、如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も、如来よりたまはらせたまひたる信心なり。 これは元祖のお言葉ではあるが、真宗の聖教にしか伝わっていない。恐らく、決定を得ていない同門の方々には理解できなかったの…

念佛是真

歎異抄 第18条 - WikiArc 仏法の方に、施入物の多少にしたがつて大小仏になるべしといふこと。この条、不可説なり、不可説なり。比興のことなり。 すべて仏法にことをよせて、世間の欲心もあるゆゑに、同朋をいひおどさるるにや。 このくだりを読んだとき、…

往生について

歎異抄 第15条 - WikiArc 浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとならひ候ふぞ、とこそ、故聖人の仰せには候ひしか。 証空の浄土教研究 - 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科 証空は證得往生から即便往生と当得往生との二種…

「義なき」と「無義」と

歎異抄 第10条 - WikiArc 念佛には無義をもて義とす。 如来二種回向文 - WikiArc 他力には義なきをもつて義とすと、大師聖人は仰せごとありき。 親鸞聖人御消息 (下) - WikiArc また弥陀の本願を信じ候ひぬるうへには、義なきを義とすとこそ大師聖人の仰せに…

彼らは教えを聞きに来たのではない

さて、最も不審のある第二条である。 歎異抄 第二条 - WikiArc(全文はリンク先を参照) おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずしてたづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。 「身命をかへりみず…

信心とは決定なり

歎異抄 第1条 - WikiArc 一 弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を…

信心と信仰

信心と信仰とについて。検索をかけてみると、色々と難しいもののようである。 信仰(しんこう)とは - コトバンク 信心と信仰 ここでは、小生が思うところを述べてみる。 信心とは、浄土門に於いては二種深信である。一つには、自己は常没常流転の生死する凡夫…

法蔵菩薩

浄土の法門は、法蔵菩薩の法門である。念佛の安心は、法蔵菩薩所修の安心である。小生も初めのうちは、近代の教育を受けたものとして、浄土とか法蔵菩薩とか、どうにも素直に受け入れられない。 浄土はまだしも、極楽無為涅槃界とあるのでいいとして、法蔵菩…

自見之覚悟

歎異抄 全以自見之覚悟、莫乱他力之宗旨。 まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。 「自見之覚悟」とはこのブログに書き散らかしているようなことを言う。「先師」にしろ「相続」にしろ「有縁の知識」にしろ、小生の解釈の方が正しいので…

有縁知識

歎異抄 幸不依有縁知識者、争得入易行一門哉。 幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入ることを得んや。 さてこの「有縁の知識」は、実に問題のあるところだと思う。例えば、浄土真宗を自称する、浄財集めを目的としたカルト会なる詐欺教団が…

後学相続之疑惑

歎異抄 思有後学相続之疑惑 後学相続の疑惑有ることを思ふに ネット上にある幾つかの現代語訳を読むと、相続を相承の意味で訳してあるか、無視しているかのどちらかであり、これが不満である。浄土門で相続といえば、念佛相続の意味ではないのか、というのが…

先師口伝之真信

歎異抄 歎異先師口伝之真信 先師の口伝の真信に異なることを歎き これは単に親鸞聖人からの口伝の信心という意味ではなく、親鸞聖人の時点で既に口伝の信心であると思う。つまり、親鸞聖人から伝えられた著者の信心ではなく、親鸞聖人に伝えられた親鸞聖人の…

歎異抄について、幾ばくかの不審があるので書いておく。そもそもこの聖教は真宗の有名な聖教の一つなのだが、元祖和順大師法然上人を第一の祖師と仰ぐ者にとっても大切な聖教の一つである。 歎異抄 竊回愚案 ひそかにぐあんをめぐらして 顕浄土真実教行証文…

六決定

五決定を以って往生す。と言われている。 法然教学の研究 /第二篇/第三章 法然聖人の信心論/第三節 深心の意義 - 本願力回向 一弥陀本願決定也、二釈迦所説決定也、三諸仏証誠決定也、四善導教釈決定也、五吾等信心決定也。以此義故往生決定也云云 小生はこ…

一念多念

仏説無量寿経 - Wikisource 諸有衆生 聞其名號 信心歡喜 乃至一念 至心回向 願生彼國 即得往生 住不退轉 唯除五逆 誹謗正法 其有得聞 彼佛名號 歡喜踊躍 乃至一念 當知此人 爲得大利 則是具足 無上功德 選択集 読んでみよう選択集:浄土宗(善導大師の御釈 …

滅後の邪義

一枚起請文 - Wikipedia 証の為に両手印をもってす。浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存、この外に全く別義を存ぜず、滅後の邪義をふせがんがために所存をしるし畢んぬ。 元祖御在世の頃から、一念多念の争いというものがあった。一念にて往生…

念仏を信ぜん人

一枚起請文 - Wikipedia 念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同じうして、智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。 浄土宗の時間 「法然さまのみ教え」 第三週 6月17日 「信…

奥ふかき事

一枚起請文 - Wikipedia この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。 松庵 もし、このほかに奥深いことを考えているとしたならば、私は、阿弥陀さまとお釈迦さまのお慈悲からはずれ、私をお救いくださるという本願からもれる…

「と申して」と「にて」

一枚起請文 - Wikipedia ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず。 ただし三心四修と申すことの候うは、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。 「南無阿弥…

同一念佛

一枚起請文 - WikiArc 学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。 ただし三心・四修と申すことの候ふは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ふうちに籠り候ふなり。 愚見によれば、「念の心を悟りて」とは、宗教経験を含んでいる。また「決定し…

決定(けつじょう)

一枚起請文 - WikiArc ただし三心・四修と申すことの候ふは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ふうちに籠り候ふなり。 第 十 三 巻 - いとーの部屋 - Seesaa Wiki(ウィキ) 但妄念のきをひおこり侍るをば、いかがし候べきと。上人の給はく、是煩…

往生極楽のために

一枚起請文 - WikiArc ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思ひとりて申すほかには別の子細候はず。 選択集 読んでみよう選択集:浄土宗 それ速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中には、且く聖道門を閣いて、選んで浄…

念の心を悟る

一枚起請文 - WikiArc 学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。 いとー日記:元祖大師御法語前編3「聖浄二門」その2 - livedoor Blog(ブログ) 彌陀如来の、本願の名号は、木こり、草刈り、菜摘み、水くむ、たぐいごときのものの、内外ともに、かけ…

もろこし

西域佛教というものが、あったと思うのである。インド佛教、西域佛教、シナ佛教を経て、日本佛教に至る。浄土三部経は、それぞれ、西域佛教の影響下に生れたものと思う。それが、シナ佛教を経て、日本に来たのである。 つまり、一枚起請文に言う「もろこし」…