竊
歎異抄について、幾ばくかの不審があるので書いておく。そもそもこの聖教は真宗の有名な聖教の一つなのだが、元祖和順大師法然上人を第一の祖師と仰ぐ者にとっても大切な聖教の一つである。
竊回愚案 ひそかにぐあんをめぐらして
竊かに以みれば
竊に計れば
竊に以みれば
この時代の定型句なのか、それとも歎異抄の著者が先達に倣ったのか、よくわからないが、少なくとも、歎異抄の大枠の構成が、教行証文類をほぼ模しているのは確かであろうと思われる。
この短い書は以下のような構成からなる。
- 顕浄土真実教行証文類序「総序」と通称される。
- 顕浄土真実教文類一「教巻」と通称される。
顕浄土真実行文類二「行巻」と通称される。巻末に「正信念仏偈」(「正信偈」)と呼ばれる偈頌が置かれる。- 顕浄土真実信文類序「顕浄土真実信文類三」の前に「別序」と通称される序文が置かれる。
顕浄土真実信文類三「別序」を含めて「信巻」と通称される。- 顕浄土真実証文類四「証巻」と通称される。
顕浄土真仏土文類五「真仏土巻」と通称される。
顕浄土方便化身土文類六「化身土巻」と通称される。 「化身土巻」は「本」と「末」からなる。- 巻末の「竊かに以みれば聖道の諸教は行証久しく廃れ浄土の真宗は証道いま盛なり」以降の部分は「後序」と呼ばれる。
つまり、この著者は、親鸞聖人の御門弟の中でも、教行証文類を読むことのできた数少ない中の一人であったと思うのである。
そしてまた思う。著者は一人ではないのではないかと。筆をとったのは一人であろうけれども、その内容は、一室の同心行者の仲間と整備したのではないかと、なんとなく思うのである。これは一応は第二条からの連想であるが、真宗に対する小生の勝手な印象からではある。