変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

淨土門の八正道

救われんとする道が救われた道である。

往生を決定せんと称名念佛に励むのだが、その念佛が既に救われた念佛である。

これを小生は称名安心と名付ける。

 

そして思うに、八正道についてもこのことがある。つまり、苦の原因の滅を目指して修める八つの正道が、同時に、安心そのものである八つの聖道であると。

 

そしてまた考えてみるに、淨土門には淨土門なりの八聖道があると思う。

  • 正見:「念佛して弥陀にたすけられまいらせる」つまり「念佛往生」ということである。
  • 正思惟:「念佛して弥陀にたすけられまいらせる」と思惟する、心の内に反芻することである。
  • 正語:「念佛して弥陀にたすけられまいらせる」と語ることである。
  • 正業:「弥陀にたすけられまいらせる」念佛をすることである。
  • 正命:正業たる念佛を称える生活をすることである。
  • 正精進:念佛を称える努力をすることである。つまり、精進の者はその機のままに、懈怠の者もその機のままに念佛を申す生活をするように努めることである。
  • 正念:決定せる信心のことである、所謂、二種深信。
  • 正定:弥陀の名号すなはち「南無阿弥陀佛」のことである。

これが淨土門の八聖道であり、念佛の安心というものである。

 

 

南無阿弥陀