死んだら終わりではない
死んだら終わり、生きている間にのみ意味が有るとしたら、それは甚だ可怪しなことではないだろうか。
それはつまり、某年月日に生まれ、某年月日に死ぬ、その須臾の間にのみ意味があるということであり、その前後の膨大な時間には意味がないということになると思うのである。
その超広大な時間には意味があり、ほんのちょっとした短い人生にのみ意味が無いというのなら、あり得るかもとは思うのだが、その逆はあり得なく無いだろうか。
前後の無限の永い時間に意味が無いとなれば、その間の有限の短い人生にも意味はやはり無いのではないかと思う。
それは甚だ味気なく、無意味な考え方であると思う。そこには安心も無く、決定も無い。ただ憂悲苦悩があるばかりである。
元祖上人曰く(勅修御伝)、
われ、もと極楽にありし身なれば、定めて帰りゆくべし
この卑小なる人生に意味があるならば当然その前後にも意味はあり、むしろその前後に意味があるからこそ、人生にも意味が有るのであると思う。
南無阿弥陀佛