変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

2018-01-01から1年間の記事一覧

佛教における最初の念佛

史上最初の二帰依について。 在家 - Wikipedia タプッサとバッリカという二人の商人が麦菓子と蜜団子を寄進して帰依し、最初の在家信徒になった。 [mixi]律蔵 「ゴータマ伝1」 悟後の坐禅・梵天勧 - 原始仏典 | mixiコミュニティ 「ここにわたしたちは、先生…

四苦八苦

四苦とは、生老病死であり、さらに、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦を加えて八苦とする、とある。 四苦八苦 - Wikipedia 苦 - WikiArc 仏教講義、1.釈尊の根本的教え (2)四聖諦(続き)(No2) 大まかには読んで字の如しであるが、生苦と五蘊盛…

二つの個

『親鸞とパウロ』という本がある。買ったその頃はわかったような気になって二読三読したものだが、久しぶりに改めて読んでみるとよくわからない。検索して関連した記事を読んだのだが更にわからない。 超個の個、不可分不可同不可逆、第一義の接触第二義の接…

往生は得易し

元祖大師曰く、 成佛は難しと雖も往生は得易し。 小生曰く、往生は得易しと雖も安心は得難し。 他宗他教にては、信心とも信仰ともいうのであろうこれを、小生は安心と言う。まことに安心は得難し。これは存在の構造からくるものであり、如何ともし難いもので…

不足言

勅修御伝 巻五 あるとき上人月輪殿にして、山僧と参会のこと侍りしに、かの僧「淨土宗を立て給ふなるは、いづれの文によりて立て給ふぞや」と尋ぬるとき、「善導の観経疏の付属の文なり」と答へ給ふに、重ねていはく、「宗義を立つるほどのことになんぞただ…

帰依するということ

愚、案ずらく。帰依とは依存である。 依存症という言葉があるくらいで、依存という言葉に良い印象はないのだが、しかし、帰依とは、依存であると思うのである。 自帰依法帰依で言えば、自己に依存し、法に依存するということである。 浄土門で言えば、称名に…

理性と知性とについて

理性とは知性とは何か。改めて調べてみるとよく分からない。そこで簡単に定義付けてみる。即ち、理性とは善悪を判断する能力であり、また知性とは損得を勘定する能力である、と。 歎異抄に曰く、 善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。 つまり、浄土門…

三尊

阿弥陀三尊 - Wikipedia 観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身とされ、勢至菩薩は「智慧」をあらわす化身とされる。 ということで、なるほどそうなのかと思うものでもあるのだが、また例によって何となく思いついたのだ。つまり、観世音菩薩は縁起…

選擇護念

選擇護念という言葉があったはずであるが、出典がよく分からない。 【第十五】六方諸仏護念篇 | 浄土宗【公式WEBサイト】 大元は上のリンク先だと思う。 現世利益和讃、というものもある。 毎日の浄土真宗 現世利益和讃 思うのだが、どうも守られているよう…