変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

不足言

勅修御伝 巻五

あるとき上人月輪殿にして、山僧と参会のこと侍りしに、かの僧「淨土宗を立て給ふなるは、いづれの文によりて立て給ふぞや」と尋ぬるとき、「善導の観経疏の付属の文なり」と答へ給ふに、重ねていはく、「宗義を立つるほどのことになんぞただ一文によるべきや」と。上人微咲してものものたまはざりけり。かの僧山に帰りてのち、宝地房の法印証真にこのことをかたりて、「法然房、すべて返答に及ばず」と申しけるを、法印申されけるは、「法然房のものいはれざるは不足言に処するゆゑなり。かの上人は天台宗の達者たるうへ、あまさへ諸宗にわたりて、あまねくこれを習学して、智慧深遠なること、常の人に超えたり。返答かなはずしてものいはずと思ふ僻見、さらにおこすべからず」とぞ申されける。

 

付属の文というのは、これのことだろう。

同経の『疏』に云く、「仏告阿難汝好持是語」より已下は、正しく弥陀の名号を付属して、遐代に流通することを明す。上来定散両門の益を説くといえども、仏の本願に望むれば、意衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるに在り。

 

不足言というのは、こちらのサイトによれば、

論ずるまでもない誤った考え。

 という意味である。

 

つまり、衆生をして称名念佛せしめんというのが佛の本願である、ということが、宗義を立てるほどの一文であったのである。これは浄土門にとっては真理であり安心ではあっても、他宗他教にとっては批判があるであろう。よってこれ以上の議論は無益であるから、元祖は口を閉ざされたのであろう。

上人微咲してものものたまはざりけり。

 

 

南無阿弥陀