選擇護念という言葉があったはずであるが、出典がよく分からない。
【第十五】六方諸仏護念篇 | 浄土宗【公式WEBサイト】
大元は上のリンク先だと思う。
現世利益和讃、というものもある。
毎日の浄土真宗 現世利益和讃
思うのだが、どうも守られているような気がするのである。それなりに不運なことにも遭うのであるがなんとなく守られているような気がする。これはそういう感覚なので、もし検証ができるとするなら、別にどうということもないのだろうとは思う。
大げさに言うなら、この感覚は、如来常住や摂取不捨などに通じるもののように思うのである。してみると、これは大乗仏教の発達の要因の一つなのかも知れない。
もっとも、単なる妄想ということもありうるのだが。