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変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

知情意

知情意というのは、哲学者のカントという人が言い出したらしい。

 

知性、感情、意志。この三つで人の精神が表せるならば、浄土の法門を領受するのもまたこの三つであろうと思われる。

 

信知 : 槐安国伝

心のぞみぞみと身の毛もいよだち、涙も落つるをのみ信の起ると申すは、僻事にてあるなり。それは歡喜・随喜・悲喜とぞ申すべき。信といふは疑ひに対する心にて、疑ひを除くを、信とは申すべきなり。

 

西方指南抄/中末 - 本願力

一念に無上の信心をえてむ人は、往生の匂ひ薫ぜる名號の衣をいくへともなく重ね着むとおもふて、歡喜のこころに住して、いよいよ念佛すべし。

 

三心料簡および御法語 - WikiArc

余行シツヘケレトモ、セスト思、専修心也。
余行目出ケレトモ身カナハ子ハエセスト思ハ、修セ子トモ雑行心也云々。

 

これらの御法語を案ずるに、どうも知性に於ける信受が根本であるように思われる。しかし疑いとは知性の働きではなかろうか。そうすると信とは知性が麻痺することなのだろうか。

 

否、そうではない。知性の働きはそのままで疑いがなくなるのである。疑うことが知性の働きならば、疑わないことも知性の働きなのである。疑わないというよりはむしろ疑えないのである。知性の働きであるからである。

 

そうすると、この疑から信へと知性の働きを転換させるものがあるのである。所謂、決定である。ここら辺の消息を、恐らくは、機法一体とも他力回向ともいうのであろうと思われる。

 

如来の施し給うところであり、法蔵菩薩の修行が現れるところでもある。

南無阿弥陀