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変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

断絶と連続

佛と衆生との関係は、断絶と連続であり、浄土門においては二種深信として表される。

一者決定深信:自身現是罪惡生死凡夫,曠劫已來常沒常流轉,無有出離之緣;

二者決定深信:彼阿彌陀佛,四十八願,攝受衆生,無疑無慮,乘彼願力,定得往生。 

以下小生の訓。

一つには決定して深く信ず、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫巳来、常に没し、常に流転して、出離の縁有ること無しと。

二つには決定して深く信ず、彼の阿弥陀佛は四十八願をもって衆生を摂受したまふ、疑ひ無く慮り無く、彼の願力に乗じて、定んで往生を得と。

 

「出離の縁あることなし」ということは断絶しているのである。「定得往生」ということは連続しているのである。

 

断絶しているならば連続ではなく、連続しているならば断絶ではないけれども、断絶したそのままで連続している。

 

無明は無明のままで無明の滅があるのである。生死は生死のままで生死の滅、つまり往生があるのである。世俗の凡夫は世俗の凡夫のままで往生を決定するのである。

 

考えれば考えるほど、あれおかしいなとなるが、弥陀の願力でそうなっているのでしょうがないのである。浄土の安心、出離生死の安心は不可思議である。娑婆の論理は、娑婆を超えようとするときには通用しないのである。

 

信者めぐり -美濃 おゆき同行- より

「けれども何処まで行かれるか知らぬが、もしやこの後において、いよいよこれでこそ得たナアというのが出来たら、如來聖人とお別れぢゃと思いなされ、もとのすがたで帰っておくれたら、御誓約通りゆえ、さぞや御真影樣はお喜びであろう」

 

信者めぐり -三河 吉蔵同行- より

「唯ぢゃげな嬉しいなー嬉しいなー」と、独り言を云いながら、御寺より下向せられた。

その姿を見つけたる女同行、吉蔵様へ飛び付き、「貴方は唯ぢゃげな唯ぢゃげなとお喜びなさるが、私はそれがわからぬので困ります」
「イヤお前もわからぬか私もわからぬ、唯ぢゃげな嬉しいな嬉しいな」
「サアそれがわからぬのであります。貴方のわからぬと仰せられるのと、私のわからぬとは違います。私のわからぬのは困る一方で嬉しいことはありませぬ。どうぞわからぬと云わずに一言お知らせ下されませ」とお尋ねをした。

「イヤ本当におれもわからぬがのう。これがわかって来いならどうしましょう、わからぬなりで出て来いよと呼んで下されてこそ、まるまる唯ぢゃげな、嬉しいのう嬉しいのう」と、喜びながら帰られたとある。

 

信者めぐり -三河 おその同行- より

三州高棚村空林寺、ある事情のために、同行衆の計らいにより、田原のおそのさんを招待した。
院主、「この度御苦労かけたは余の儀ではない。恥かしいことには坊主に生れながら、私に佛法がないばかりで、只今困っている事情がある。どうぞ佛法に入る近道を聞かせておくれ」
その、「わたしも佛法は少しもない、ないゆえ佛法樣に助けられるが嬉しい」
院主、「そんな薄情なことを云わずに、意見してなりと聞かせておくれ、本真に私には佛法はないのである」と重ねてお願いをした。
その、「わたしに佛法があると思うて呼び付けなさったか、それが間違いというものぢゃ。嘘でもなんでもない、わたしには微塵ばかりも佛法はない、ないゆえ佛樣に助けられるが嬉しいより外はないわいのう。マア今日は寒いで帰ります、御免なされ」と、一礼を述べてすぐ帰られた。

院主、同行衆に向かい、「坊主というものは悲しいものぢゃ。両手をついて尋ねても聞かせてくれぬ」と、右の次第を物語りた。

同行手を打って喜び、「それほどうまいことを聞かせて貰うて、それが食われぬと云うは、貴方に佛法がないからぢゃ。これから聞いて佛法があるようになってからの往生は回り道、今の佛法のないままで助けられる、これほどの近道を教えてくれる御方が何処にあろう」

 

信者めぐり -讃岐 庄松同行の物語- より

「たのむ一念を一口お聞かせ下さい」
庄松曰く、「それは佛の云うことぢゃ、俺は知らぬ」

 

香樹院語録 一六一 より

「凡夫の身ぢゃもの、地獄へ墮ちることは今更のことでない、当たり前のことぢゃ。その必定して地獄に墮ちるものをそのままたすけると仰せられるのが、阿弥陀樣の勅命ぢゃ。それでも勝手に地獄へ行くのか」

 

元祖和順大師 勅修御伝巻二十一 より

つねに仰せられける御詞

「われはこれ烏帽子もきざる男なり。十悪の法然房、愚癡の法然房の、念佛して往生せんと云ふなり。」

 

元祖和順大師 一言芳談 より

つねの御詞に云く。「あはれこの度しおほせばやな」と。
その時乗願房申さく。「上人だにも斯樣に不定げなる仰せの候はんには、ましてその余の人はいかが候ふべき」と。
その時上人うちわらひてのたまはく。「蓮臺にのらんまでは、いかでかこの思ひはたえ候ふべき」云々。

 

佛説無量寿経 巻下 より

易往而無人(往き易くして人なし)

 

以上、思いつくままに並べてみた。

南無阿弥陀