機法一体
機法一体という言葉を知ったのは、安心決定鈔からだったと思う。
浄土門にあって、浄土門の色合いが薄いこの言葉によって、当時、神話的表現に多少の抵抗があった自分にとって、とても助かったのだと今さらながら思う。
機法一体。およそ宗教の安心ならば、宗派の別に依らず、この言葉によって端的に表せるものではないだろうか。
これは西山派の功績であり、元祖上人の御法語にはないものである。ただ、元祖の御法語の中にそれっぽいものがないわけではない。曰く、
異論は認める。というか、こちらが異論なので、認めて欲しいところである。
ただ小生の思うところ、これは浄土門の安心の連続面を端的に表現してはいるが、断絶面を表してはいない。いわゆる二種深信のうちの、法の深信を表していると思うのである。