変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

「義なき」と「無義」と

歎異抄 第10条 - WikiArc

念佛には無義をもて義とす。

如来二種回向文 - WikiArc

他力には義なきをもつて義とすと、大師聖人は仰せごとありき。

親鸞聖人御消息 (下) - WikiArc

また弥陀の本願を信じ候ひぬるうへには、義なきを義とすとこそ大師聖人の仰せにて候へ。

一言芳談 七十九: Blog鬼火~日々の迷走

正信上人云、念佛宗は、義なきを義とするなり。

暦法語(真偽未詳)

淨土宗安心起行のこと。義なきを義とし、樣なきことを樣とす。 

護念經の奥に記せる御詞(真偽未詳)

淨土宗安心起行の事、義なき義とし、樣なきを樣とす。

 

歎異抄だけが「無義」とは、この表記の違いは何故なのだろうか。「義なきを義とす」という他の御消息等にあるこの言葉をこの著者が知らぬはずはなかろうと思われる。これは、親鸞聖人から「無義」と伝承したからに違いあるまい。他には「義なき」とあるが、自分は「無義」と聞いた、ということなのだろう。

 

そうすると問題は親鸞聖人のところにある。つまり、これは元祖からの直接の口伝ではなく、元祖滅後における、確かな筋からの伝聞なのではないのだろうか。しかも文字による伝聞を含むものではないだろうか。

 

年表 | 総本山知恩院

1207年 建永2年 旧仏教の弾圧で讃岐に流される(75歳)
1212年 建暦2年 正月二十五日、法然上人入滅。(80歳)

おそらく、これは建永二年(1207年)から 建暦二年(1212年)の間の御法語であろうと思う。親鸞聖人は、初めは文書によってこの御法語を知らされたのだろう。そして帰洛後に、元祖随侍の同門の方々より聞かれたのではないか。否、聞かれぬはずがないと思うのである。元祖の流罪中の御有様や御入滅のご様子など、必ず聞かれたと思うのである。

 

正信房(聖信房)湛空:浄土宗

一言芳談にこの御法語を伝えているのはこの正信上人であるとされる。生年を調べてみると、親鸞聖人とは同世代である。片や師と同じく流罪となって師と別れ、片や師の流罪先にまで付き従う。両者に全く交流がなかったとは考えにくいと思うのである。