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変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

法蔵菩薩

浄土の法門は、法蔵菩薩の法門である。念佛の安心は、法蔵菩薩所修の安心である。小生も初めのうちは、近代の教育を受けたものとして、浄土とか法蔵菩薩とか、どうにも素直に受け入れられない。

 

浄土はまだしも、極楽無為涅槃界とあるのでいいとして、法蔵菩薩の物語は、五劫とか十劫とか、明らかにファンタジーそのものではないか、これはちとお伽話に過ぎないのではないか。

 

信者めぐり : 三田老人求道物語 八 讃岐庄松同行の物語

地獄極楽は本当にあるものでしょうか聞かせておくれ。
ただ渡世をするために、無いことを有るように教えていられるのでなかろうかと思うてならぬから御尋ねするのぢゃ。

 

この疑いを経て後に決定せる往生一定の安心は、ただこれ、法蔵菩薩所修の安心である。

 

確かに、法蔵菩薩は我々の歴史世界に存在していない、そういう意味では架空の存在である。では安心を決定すればその実在を信じられるようになるかといえばそんなことはなく、ただ安心の重要な構成要素として、いやむしろ、安心のすべてとして、それと知られるのである。

 

歴史的事実が宗教的事実になることはあるかもしれないが、宗教的事実が歴史的事実になることはない。法蔵菩薩の本願の物語は初めから宗教的事実であって歴史的事実ではない。歴史的事実になることもない。ただ念佛者の生死の苦悩が消えるだけである。

 

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念仏申す機は 生まれつきのままにて申すなり