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変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

奥ふかき事

一枚起請文 - Wikipedia

この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。

松庵

もし、このほかに奥深いことを考えているとしたならば、私は、阿弥陀さまとお釈迦さまのお慈悲からはずれ、私をお救いくださるという本願からもれることでしょう。

よく分かる一枚起請文

私が今まで申し上げたお念仏の教え以外に、何か深い教えを隠しているとするならば、阿弥陀さまやお釈迦さまの慈悲のみ心に背くことになり、私自身が阿弥陀さまの本願の救いから漏れてしまうでしょう。

「一枚起請文」のこころ

もしも私が「これ以外にお念仏の教えには奥深いことがあるのだ」などとわが心に秘めていたならば、 釈尊阿弥陀仏が私たち衆生を救わんとなされた慈悲のみ心に背き、 私自身が阿弥陀仏のお誓いになられた本願のお救いから漏れ出てしまうことでしょう。

4月18日「教師の握り拳」:浄土宗

お釈迦さまは、お亡くなりになる前、お弟子さんたちに「私の教えはすべて教え切った。私には教師の握り拳などはない」という意味のことをおっしゃられたそうです。

お釈迦様の教え

わたしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。まったき人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は存在しない。

歎異抄 第二条

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。

 

元祖は智慧深遠と称され、三昧發得の高僧であり、大勢至菩薩の化現ともいわれる祖師であるからして、奥深き事などいくらでもご存知だったはずである。しかし、浄土の法門については、これ以上の事などない、と言われているわけである。つまり、決定してただ南無阿弥陀佛と申すことこそが奥深き事なのである。何故なら、それは如来様のお仕事だからである。

 

無量寿経に曰く

如來の智慧海は深広にして涯底なし。二乘の測るところに非ず、ただ佛のみ独り明了なり。

信者めぐり 〜讃岐 庄松同行の物語〜から

曰く、「それは佛の云うことぢゃ、俺は知らぬ」