変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

「と申して」と「にて」

一枚起請文 - Wikipedia

ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず。
ただし三心四修と申すことの候うは、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。

 

「南無阿弥陀佛と申して」とあるのは、相続において信を説くのである。これを称名安心と名付ける。「南無阿弥陀佛にて」とあるのは、決定において信を説くのである。これを名号安心と名付ける。

 

称名安心と名付けるのは、称名相続が、行-信-行と、三層もしくは内包もしくは循環する構造になっており、そのままで安心を成り立たせるからである。そして名号安心と名付けるのは、南無阿弥陀佛の名号が、決定した信を、内包もしくは付帯しており、そのままで安心を成り立たせるからである。

 

愚案によれば、称名安心とは自帰依であり、名号安心とは法帰依である。元祖大師は、ここでも釈尊をなぞっておられるわけである。