変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

往生極楽のために

一枚起請文 - WikiArc

ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思ひとりて申すほかには別の子細候はず。

選択集 読んでみよう選択集:浄土宗

それ速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中には、且く聖道門を閣いて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正雑二行の中には、且く諸の雑行を抛って、選んで正行に帰すべし。正行を修せんと欲せば、正助二業の中には、なお助業を傍にし、選んで正定を専らにすべし。正定の業とは、すなわちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、必ず生ずることを得。仏の本願に依るが故なり。

浄土宗新善光寺(大分県別府市)

成仏は難しといえども往生は得やすし、道綽・善導の心によれば、仏の願力を強縁として乱想の凡夫浄土に往生す

信知 : 槐安国伝

心のそみそみと身の毛もいよだち、涙を落つるをのみ、信のおこると申すは、ひがごとにてあるなり。それは歓喜、随喜、悲喜とぞ申べき。信といふは、疑ひに対する意にて、疑ひをのぞくを信とは申すべきなり。

西方指南抄/中本 - 本願力回向

念仏はやうなきをもてなり。名号をとなふるほか、一切やうなき事也と云り。

 

出離生死、これは、生死の不安からの脱却ともいうべきか。おおよそ、人の悩みには三種あって、生活の悩み、人生の悩み、生死の悩みである。念佛を称えたからといって、生活の悩みや人生の悩みは解決しないだろうと思う。念佛の目的は生死の悩みである。生死の悩みが解決すれば、生活の悩みや人生の悩みは、そう大したものではなかろうと思う。

 

この生死の悩みの解決が、浄土門においては、「疑なく往生するぞと思ひとりて申す」ことなのである。南無阿弥陀佛と申して、生死を脱出することに疑いがなくなることが、生死の悩みの解決、つまり安心(あんじん)なのである。

 

今更に気付いたのだが、この一枚起請文の法句は、行-信-行、という三層もしくは内包もしくは循環する構造になっている。これが浄土門の安心である。