変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

無明そして無明の滅

無明 - Wikipedia

 

リンク先のページを読んでもよくわからないが、思うに、無明の対立概念は無明の滅ではなかろうか。

 

二種深信は、二種一具と言われるように、片方が成立したからといって片方が廃れるものではない。そうすると、十二縁起の流転門と還滅門も同じではなかろうか。リンク先の真宗の見解とは異なってしまうが、つまり、無明と無明の滅とは、両立し、並立しているのではなかろうか。釈尊によって無明が発見された時、無明の滅もまた発見されたのではなかろうか。

 

釈迦な行

全て生起せるものはまた滅するものである

 

これを念佛宗的に翻訳すると、

生死する存在たる自己は、往生を決定せる自己である。

であろうか。

 

小生が多大なる影響を受けた真宗の聖教から二つ。

 

正信念仏偈 - Wikisource

摂取心光常照護 已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇

摂取ノ心光 常ニ照護シタマフ 已(すテ)ニ能(よ)ク無明ノ闇ヲ破スト雖〔モ〕
貪愛 瞋憎之(の)雲霧 常ニ真実信心ノ天ニ覆ヘリ
譬(たとえ)ハ 日光ノ雲霧ニ覆ハルレトモ 雲霧之(の)下 明〔ラカ〕ニシテ闇(くらきこと・やみ)無キカ如(ごと)シ

 

これだと無明はなくなってしまうもののごとくであり、小生の見解とは異なる。

 

讃嘆のうた

弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく
世の盲冥をてらすなり

 

これは世の盲冥が消え去るわけではないと思う。無くならないからこそ、今に十劫を経たまえるまで世の盲冥を照らし給うのである。この盲冥を無明と解すれば、小生の見解と同じである。

 

無明は無明の滅とともにある。それを照らすのが弥陀の光明である。

 

無明 - WikiArc

また浄土真宗では、本願を疑い仏智を明らかに信じないことを無明という場合もある。

 

なるほど、これであれば真宗と小生の愚見とは齟齬はないようである。ただし、二種深信を除く。