変的論

主に宗教・佛教・浄土門についてのささやかな見解

往生は得易し

元祖大師曰く、 成佛は難しと雖も往生は得易し。 小生曰く、往生は得易しと雖も安心は得難し。 他宗他教にては、信心とも信仰ともいうのであろうこれを、小生は安心と言う。まことに安心は得難し。これは存在の構造からくるものであり、如何ともし難いもので…

不足言

勅修御伝 巻五 あるとき上人月輪殿にして、山僧と参会のこと侍りしに、かの僧「淨土宗を立て給ふなるは、いづれの文によりて立て給ふぞや」と尋ぬるとき、「善導の観経疏の付属の文なり」と答へ給ふに、重ねていはく、「宗義を立つるほどのことになんぞただ…

帰依するということ

愚、案ずらく。帰依とは依存である。 依存症という言葉があるくらいで、依存という言葉に良い印象はないのだが、しかし、帰依とは、依存であると思うのである。 自帰依法帰依で言えば、自己に依存し、法に依存するということである。 浄土門で言えば、称名に…

理性と知性とについて

理性とは知性とは何か。改めて調べてみるとよく分からない。そこで簡単に定義付けてみる。即ち、理性とは善悪を判断する能力であり、また知性とは損得を勘定する能力である、と。 歎異抄に曰く、 善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。 つまり、浄土門…

三尊

阿弥陀三尊 - Wikipedia 観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身とされ、勢至菩薩は「智慧」をあらわす化身とされる。 ということで、なるほどそうなのかと思うものでもあるのだが、また例によって何となく思いついたのだ。つまり、観世音菩薩は縁起…

選擇護念

選擇護念という言葉があったはずであるが、出典がよく分からない。 【第十五】六方諸仏護念篇 | 浄土宗【公式WEBサイト】 大元は上のリンク先だと思う。 現世利益和讃、というものもある。 毎日の浄土真宗 現世利益和讃 思うのだが、どうも守られているよう…

信知

選擇本願念佛集 第八章段に曰く、 深心と言うは、すなわちこれ深く信ずるの心なり。また二種有り。一には決定して、深く自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より巳来常に没し、常に流転して、出離の縁有ること無しと信ず。二には決定して、深く彼の阿弥陀仏…

知情意

知情意というのは、哲学者のカントという人が言い出したらしい。 知性、感情、意志。この三つで人の精神が表せるならば、浄土の法門を領受するのもまたこの三つであろうと思われる。 信知 : 槐安国伝 心のぞみぞみと身の毛もいよだち、涙も落つるをのみ信の…

事象と解釈

言葉の使い方が間違っているかもしれないが、まあいつものことでもあり、思いついたので書く。 死というのは事象ではなく解釈である。事象としての命終を、一般的に死と解釈しているだけである。 浄土門では、その命終を死と解釈するのではなく、往生と解釈…

無条件の幸福

五濁悪時悪世界に生まれた悪衆生の身を不幸とするなら、浄土門の安心は幸福と呼べるだろう。そして浄土門の安心を幸福と呼ぶのならば、それは無条件の幸福である。特に何かと引っかけてあるわけではない。 幸福ということを考えると、世間的には、金銭的な、…

宗>教

おおよそ、宗教には二つあると思われる。一つには、教が宗である、教えそのものが宗である場合。二つには、教が宗を教え示すためのものである場合。 記号を以って表すならば、 宗=教 宗>教 である。 他教他宗は知らず、浄土門は、後者である。では、浄土門…

ドグマ酔い

思想に囚われてしまうことを、昔から教条主義とか原理主義とかいうらしいが、小生はこれを「ドグマ酔い」と名付けてみた。これにかかると、精神が柔軟性を失い、思考が定型化して、短絡した発言を成すようになるようである。月をさす指という言葉があるよう…

断絶と連続

佛と衆生との関係は、断絶と連続であり、浄土門においては二種深信として表される。 一者決定深信:自身現是罪惡生死凡夫,曠劫已來常沒常流轉,無有出離之緣; 二者決定深信:彼阿彌陀佛,四十八願,攝受衆生,無疑無慮,乘彼願力,定得往生。 以下小生の訓…

機法一体

機法一体とは何ですか? 浄土教における「機法一体」について 機法一体という言葉を知ったのは、安心決定鈔からだったと思う。 浄土門にあって、浄土門の色合いが薄いこの言葉によって、当時、神話的表現に多少の抵抗があった自分にとって、とても助かったの…

思想は所詮思想に過ぎない

法然、親鸞の師弟関係に「不適切な記述」 浄土宗、倫理教科書調査へ:イザ! 親鸞が師匠である法然の教えを「徹底」または「発展」させたと解説している。 思想としてみればそうではあるが、しかしそれはそれぞれの流派で発展させているので、真宗に限ったこ…

報佛の因果

安心決定鈔 - WikiArc まことに往生せんとおもはば、衆生こそ願をもおこし行をもはげむべきに、願行は菩薩のところにはげみて、感果はわれらがところに成ず。世間・出世の因果のことわりに超異せり。 仏説 無量寿経 (巻上) - WikiArc 行業果報 不可思議 諸佛…

宗教と科学

宗教と科学とは、本来、対立するものではない。それを、宗教の領域で科学を語ったり、科学の領域で宗教を語ったりするから、おかしくなるのではなかろうか。 科学は結論が決まっていない。理論と実験とを重ねて結論を出す。当然、結論が変わることもありうる…

愚癡に還る

機の深信が縁起の法であるということは、先の記事に書いた。善導大師は、常没常流転の縁起の法に、罪悪や凡夫という要素を加えられたのである。 法然教学の研究 /第二篇/第一章 法然聖人における回心の構造/第七節 三学無分の自覚 - 本願力回向 一者、決定深…

發菩提心

法然を語る⑨法然と明恵 汝は即ち畜生のごとし、また是れ業障深重の人なり。一代の聖説、仏道の妙因、都て菩提心を離れては余毎なし。 華厳宗の明恵上人が、元祖に対して放たれた悪口である。佛教の根幹たる菩提心を否定されたということで、気持ちはわからん…

聖道門と浄土門

聖道門と浄土門の違いを並べてみる。 聖道門:かっこいい、理知、優秀。 浄土門:かっこ悪い、愚迷、低劣。 浄土門の教義が聖道門寄りになっていくのは、しょうがないかな、とは思う。小生も人のことは言えない。 しかし、一枚起請文にある通り、元祖を第一…

如来よりたまはりたる

歎異抄 後序 - WikiArc 源空が信心も、如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も、如来よりたまはらせたまひたる信心なり。 これは元祖のお言葉ではあるが、真宗の聖教にしか伝わっていない。恐らく、決定を得ていない同門の方々には理解できなかったの…

念佛是真

歎異抄 第18条 - WikiArc 仏法の方に、施入物の多少にしたがつて大小仏になるべしといふこと。この条、不可説なり、不可説なり。比興のことなり。 すべて仏法にことをよせて、世間の欲心もあるゆゑに、同朋をいひおどさるるにや。 このくだりを読んだとき、…

往生について

歎異抄 第15条 - WikiArc 浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとならひ候ふぞ、とこそ、故聖人の仰せには候ひしか。 証空の浄土教研究 - 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科 証空は證得往生から即便往生と当得往生との二種…

「義なき」と「無義」と

歎異抄 第10条 - WikiArc 念佛には無義をもて義とす。 如来二種回向文 - WikiArc 他力には義なきをもつて義とすと、大師聖人は仰せごとありき。 親鸞聖人御消息 (下) - WikiArc また弥陀の本願を信じ候ひぬるうへには、義なきを義とすとこそ大師聖人の仰せに…

彼らは教えを聞きに来たのではない

さて、最も不審のある第二条である。 歎異抄 第二条 - WikiArc(全文はリンク先を参照) おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずしてたづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。 「身命をかへりみず…

信心とは決定なり

歎異抄 第1条 - WikiArc 一 弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を…

信心と信仰

信心と信仰とについて。検索をかけてみると、色々と難しいもののようである。 信仰(しんこう)とは - コトバンク 信心と信仰 ここでは、小生が思うところを述べてみる。 信心とは、浄土門に於いては二種深信である。一つには、自己は常没常流転の生死する凡夫…

法蔵菩薩

浄土の法門は、法蔵菩薩の法門である。念佛の安心は、法蔵菩薩所修の安心である。小生も初めのうちは、近代の教育を受けたものとして、浄土とか法蔵菩薩とか、どうにも素直に受け入れられない。 浄土はまだしも、極楽無為涅槃界とあるのでいいとして、法蔵菩…

自見之覚悟

歎異抄 全以自見之覚悟、莫乱他力之宗旨。 まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。 「自見之覚悟」とはこのブログに書き散らかしているようなことを言う。「先師」にしろ「相続」にしろ「有縁の知識」にしろ、小生の解釈の方が正しいので…

有縁知識

歎異抄 幸不依有縁知識者、争得入易行一門哉。 幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入ることを得んや。 さてこの「有縁の知識」は、実に問題のあるところだと思う。例えば、浄土真宗を自称する、浄財集めを目的としたカルト会なる詐欺教団が…